なんか生きてくしかないらしいぜ

けれどもそれでも、業が深くて、 なほもながらふことともなつたら、

記事書こうとしたら下書きがあったので掲載する。

 うつ病になった。

 と言っても診断は不安障害と抑うつ反応。仕事や上司との関係構成で手一杯だった時に、縁を切ったはずの元父親と関わらざるを得ないかつ身辺に影響の出る問題が出て来てしまって、それでキャパオーバーしたらしかった。

 ところで、私は大学生時代にうつ病(未診断)をやらかしている。両親が離婚をして家族で住まいを移ったとき、元父に脅かされない安全な環境に置かれたことで我慢が決壊したのか、どうにも生存していることが悲しくて苦しくて、食事をはじめとするセルフケアができなくなった。頭は元父と暮らしていたときの暴力の記憶を無限再生するので、それを止めるために寝てばかりいた。当時バイトをどうしていたのか、大学の授業はどうしていたのか、いまひとつ記憶にないけれど、とにかく可能な限り床に就いた。自分の意識をシャットダウンした。

 そうして眠って眠って、起き上がれるときに少しだけ起きて、また眠って眠って。今思えばセルフ森田療法のようなことをしていた。ちなみに森田療法のことは後に知った。

 1年と少しかけて、まあ日常生活ができるようになった。2社しか受けなかった適当な就活を終えて、なんとか大学をストレートで卒業した。自分に社会人が出来るなんて毛頭思わなかったけれど、学生身分をなくしてしまった以上は働かねばならない。自分の出来ること以上の仕事に追われて、家庭の事情に襲われて、心療内科医に休職命令を出されたのは社会人になって8ヶ月目のときだった。

 大学生のときのうつ病とは違って、それほど寝込むことはなかった。うつによる過眠はあるけれど、一日起きられないほどではない。眠さと、疲れやすさと、集中力の低下、それから気分の落ち込みはあった。今回は興味のある内容なら読書もできた。処方された薬のおかげなのかもしれないが実感はあまりない。

 随分前に購入して積んだままにしていた、加藤諦三の『心の休ませ方』という本を読んだ。冒頭に「生きることに疲れた」という言葉が出てくる。私はこの言葉を読んでただ泣いた。そう、生きることに疲れたのだ。まだ半周も行っていないマラソンコースの上で、立ち止まってしまった。生きることに疲れたし、長生きしすぎた、とも思った。ちなみにまだ23歳である。

 23歳であるけれど、心の中はもう80を過ぎたおばあさんのように気力がない。それは今回のうつの前からである。上司に「もっと若々しさを出していいんだよ」と言われたこともあった。同じ職場の十個ほど歳上の女性を見て、「若いなあ」と思った。身体の若さではなく心の若さのことである。私は30や40で死にたいと思っているし、今後結婚や家庭を作るつもりもなく、これからの人生はすべて余生である。それならもうなにもしなくて、ここで死んでもいいじゃないかと思ったりする。

 けれど今回も、死ぬことができていない。

 大学時代もそうだった。自分の存在が許せなくて死ななければと思いつつ、とうとう自殺企図すらできなかった。頭の中には母の姿ばかりあった。一緒に暮らす母は、当時19歳の未成年だった私を、当然のように引き受けた。優しく強い人だった。「自分が死んだら、母親は悲しむだろうなあ」と思った。何日考えても考えても死ねないので、私はある決意をした。「あと十年は生きよう」。きょう死ねないのなら、きっと明日も死ねないのだろう。一年後も五年後も、十年後も死ねないだろう。なら、明日死ぬつもりで十年生きるくらいなら、とりあえずあと十年は生きるつもりで生きよう。自分で自分の寿命を延長した。19歳の私は、ひとまず29歳までは生きるつもりで生きていくことにした。そして現在。

 ああ死ねねえなあ。

 そんなことを思いつつ、診療内科に通っている。8ヶ月で休職した仕事は、医師の休職命令が解けないまま、入職からちょうど12ヶ月で退職した。傷病手当は貰っているものの無職である。優しい母は嫌味のひとつも言わず嫌な表情ひとつ見せず、家というものを維持し提供してくれている。優しい目で、好きにしなさい、ゆっくりでいいから、と言う。

 死ねねえなあ。

 どうにも死ねないらしい。なんか生きてくしかないらしい。