ほんの少しでも平等なもの
最近、また勉強を始めた。
高校までの学生時代、勉強が嫌いで嫌いで仕方がなかった。出来の良い姉たちと比べられることも、まったく興味のないことを頭に入れるのも目に入れるのも苦痛だった。
勉強を楽しいと思えたのは、大学に入ってから。別に情熱をもって入った大学ではなかった。金のない実家に合わせて、学費免除の特待生枠で受かった大学にそのまま入っただけのことだった。
でも、単位制と、自分の好きな科目を選べること、クラスがなくて、自分の気の合う人間とだけ話していればいい環境が、私にはすこぶる合っていた。
自分の選んだ授業は楽しかった。
それはまあ別の話で。
大学に入った私が勉強したのは、福祉と、社会保険。使っていないが国家資格を持っている。
それでまた、勉強を始めた。その資格と勉強範囲が近い、また別の資格だ。労働と社会保険。
社会制度を学ぶのはわりと好きだ。
ほんの少しでも、平等なものだから。
教育は不平等だ。金銭と環境と遺伝で大抵が決まる。
環境は不平等だ。生まれたところの出たとこ勝負だ。
金銭も、遺伝も、出自も、健康も労働もみんな不平等だ。
でも社会制度は、わりかし社会保険と福祉はちょっと平等だ。
お金があろうとなかろうと、頭がよかろうと悪かろうと、社会制度はそれぞれに合わせて全員に適用されるし、福祉もそう。
あなたはお金を持っているから要件が緩くなりますよ、も、あなたは頭がいいから貰えるお金を増やしましょうね、も、あなたはお顔が素敵だからこの制度が使えます、も、ない。
その人の置かれた状況で、全員同じものが適用される。
ただ知らなければ使えないので、その点は不平等だが。