なんか生きてくしかないらしいぜ

けれどもそれでも、業が深くて、 なほもながらふことともなつたら、

誕生日だった。

 少し前、誕生日だった。

 

 昔は誕生日があまり好きではなく、特に大学生時分では誕生日を祝われることが苦手だった。

 周囲が自分のことを見て、自分が歳を重ねたことに「おめでとう」と言う。ときにはプレゼントまでくれる。嬉しくて、ありがとうと返しつつ、なんだか居心地が悪くて怖くて、嫌い。そう思っていた。

 

 今年の誕生日は、少しだけれど変化があった。

 誕生日当日。共通のジムに通っている母が帰宅して、

「スタッフさんがきょうは娘さん来るんですか?って言ってたよ」

 その日は午前営業のみの日で、急いで準備をしないと間に合わない時間になっていた。これまでの自分なら、「怖いから行くのやめとこ」と家に篭っていただろう。

 だって嫌だろう、友人に誕生日を祝われるのも怖いのに、店のスタッフに祝われることが分かって、しかも待っているとまで言われて、わざわざ行くなんて。

 けれど私は行った。「行かなきゃな」と思った。こわい思いもあったけれど、それ以上に、「自分の誕生日を祝おうとしてくれて待ってるとまで言ってくれたんだから、行かなきゃ」と思った。それは強迫的な思いではなく、義務でもなく、自分の意思で感じた穏やかな「行こう」だった。

 大抵の人には普通の思考かも知れないけれど、私には人生で初めての考えだった。

 結局準備は間に合って、ジムに行ってスタッフにおめでとうと言われて、ちょっとしたプレゼントをもらって、割と素直に、「ありがとうございます」と言えた。

 なんだかちょっと人間に近づけたようで嬉しかった。

 

 という、個人的な記録。

 お祝いをくれた人ありがとう。

 来年はまたもうちょっと、上手に生きたいな。

新卒一年目、退職後の健康保険。

 

 お元気ですか。

 それなりでもそれなりでなくとも、生きていますか。

 

 新卒で入った会社を8ヶ月で休職し、12ヶ月で退職した経験を綴っていく。毎度の注意書きを置いておく。これはあくまで自分の経験でしかなく、貴方の置かれている状況に必ずしも適用できるとは限らないが、自分のための状況の整理、それからこの情報を知りたいと思う方の参考になればと思う。ご自分の状況に合った詳しい情報は役所や会社、全国健康保険協会などへ問合わせて欲しい。

 

 今回は退職後の健康保険の切り替えについて。

 就職中は大抵のひとが組合の健康保険(会社経由で渡される保険証)を利用しているだろう。この健康保険には適用条件がある。細かいことは省くが適用事業者に使用されていて所定労働時間及び所定労働日数の基準を満たしている場合に加入ができる。

 退職してからは、国民保険に切り替えるか、要件を満たしているなら任意継続の手続きをするかの選択肢がある。

 任意継続とは、退職日までに継続して2ヶ月以上の被保険者期間がある人が、最長2年間、退職前に加入していた健康保険に継続して加入できる制度である。給付の内容はほぼ変わらないが、退職したときに傷病手当金や出産手当金を受けているか受給条件を満たしていなければ、これらは受けられない。加入している健康保険に申請する。

 国民保険は、自営業者やフリーターなどが加入する自治体の健康保険である。役所で手続きをする。

 

 基本的に、診療の給付に関しては、ただ外来で診療や投薬を受けるだけなら中身は変わらないと思う。というか継続にするメリットが不勉強ゆえよく分からない。個人個人で判断して欲しい。判断基準の一つに、保険料がある。どちらに加入するにしろ月々の保険料は払わなければならない。自分の場合、継続にするか国民健康保険にするかを保険料で判断した。どちらも電話で教えてくれた。

 継続の場合は在職中に加入していた健康保険に問い合わせる。保険証の記号番号を伝えたら月々払うだろう金額を教えてくれた。

 国民健康保険の場合は市役所の当該課に問い合わせる。源泉徴収票の金額で計算してくれるので、手元に用意しておこう。

 自分の場合、継続にするなら1月約2万円、国民健康保険だと1月約1万6千円ほどだった。ただ、国民健康保険は上記金額×12ヶ月分の保険料を10ヶ月間で支払うことになるので、実際に毎月支払う金額(12÷10でひと月に1.2ヶ月分支払う)は約二万円となる。4月5月は支払わず、6月から支払いが始まる。一見すると月に払う金額が変わらないように思えるが、一年間に支払う金額は差が出るのでお気をつけを。ちなみに12ヶ月未満で再就職などで国民健康保険から会社の健康保険に再び切り替える際、生じる差額は払ったり戻ったりするそうなので、結局ひと月(自分の場合1万6千円)の金額は変わらない。自分は国民健康保険に切り替えた。

 

 なお就職していて健康保険に加入している親族などと同居している場合は扶養に入れる可能性もある。この場合は月々に貰っている傷病手当などの金額で扶養に入れるかどうかが決まるので、これも組合に問い合わせて貰いたい。ちなみに自分が受給している傷病手当金の金額では不可だった。

 

(各種保険料について。払わなくていいやーと思う人もいるかもしれないが、保険証がなければ臨時で病院にかかろうものなら10割負担だ。また健康保険とは話がズレるが、国民年金保険料を払っていない人間が事故を起こして身体障害が残ったが年金保険料未払いのため障害年金の受給ができないケースなどザラにあるので払っておくことをお勧めする。金銭的に払えないなら減免申請に役所へGOだ)

 

 

 そろそろ書く事がなくなってきました。あと退職から初めて体験したのは住民税くらいか。新卒一年目で退職を考えている諸氏はほとんどが未体験だろうと思います、憎き住民税。とは言え各種市民サービスに使われていると思えば払わなければならないと思う。思うけど、高い。ミジンコのような生命力しかない住民にはもう少し優しくして欲しい。気が向いたら書きます。保険料や税金が払えない状況なら役所にいって減免措置について聞いてみてね。

新卒一年目、退職後の傷病手当。

 いつもの前置きを。新卒で入った会社を8ヶ月で休職し、12ヶ月で退職した。休職から退職後まで利用した制度について、自分の経験を綴っていく。あくまで自分の経験なので貴方の置かれている状況に必ずしも適用できるとは限らないが、自分のための状況の整理、それからこの情報を知りたいと思う方の参考になればと思う。

 

 前回、休職中の傷病手当について述べた。今回は会社を退職したあと、現在に至っても受給している傷病手当について述べていく。前々回と前回の記事において、12ヶ月ぴったりで退職したことは今後の傷病手当受給に大いに影響すると前置きしたと思う。

 実は、傷病手当金制度には、「健康保険に一年以上加入している場合、退職時に傷病手当を受けていた、もしくは、受ける条件(待機期間等)を満たしていたときは、退職後でも支給期間が満了するまで支給される」という規定があるのだ(2016年度版医療福祉総合ガイドブックより引用)。

 二年目以降の方なら気にしなくとも構わないと思うが、一年目で退職されるかたには知っておいたほうがいいと思う。

 つまり、健康保険に一年以上加入していないと、退職後の傷病手当は受けられないということである。とくに新卒で入職したかたは、それ以前は保護者の保険か国民健康保険に入っていた人がほとんどだと思う。自分が被保険者となって健康保険に加入したのは今回の就職から、という方がほとんどなのではないだろうか。

 私は大学時代は親の健康保険の扶養に入っていて、就職してから自分を被保険者本人として健康保険に加入した。前回にも触れたが、私は入職8ヶ月目で休職し、傷病手当金を受給しつつ、会社に籍は置いたままで保険料諸々を払い、会社と相談しちょうど12ヶ月(4月1日入職・3月31日退職)で退職した。12ヶ月分の健康保険料を払っているので、この規定の「一年以上加入」にギリギリ当てはまる。というかそうなるように会社にお願いした。新卒一年目のかたは、どうにか会社にお願いして12ヶ月は籍を置いてもらうようにすると、退職のときに傷病手当金を受給していれば、その後も引き続き受給が可能となる。

 

 続いて、受給方法について述べる。用意する用紙は在職中と変わらない、あの四枚セットの申請書である。ただ、申請先が変わる。これまでは会社を通じて会社に申請をしてもらっていたが、退職後は自分が直接全国健康保険協会支部に申請する。以下、説明していく。

 

①被保険者記入用。

 自分が書く用紙その1である。被保険者証の情報と、傷病手当金を振り込んで欲しい口座の情報を記載する。

 記入内容は変わらない。被保険者証の情報は健康保険のもの、つまり在職中に使っていた保険証の番号などを引き続き記入する。退職時に保険証は会社に返さなければならないので、コピーか写真でもとっておいて、情報を確認できる状態にしておくといいと思う。

②被保険者記入用。

 自分が書く用紙その2である。傷病名やそのために仕事を休んだ期間、障害年金や老齢年金、労災などから給付を受けているか否かの確認の用紙。記入する内容は変わらない。在職中と同じ要領で書けばいい。

③事業主記入用。

 会社に書いてもらう用紙である。しかし退職後は、会社に休業状態などを証明してもらう必要がないのでこれは未記入、白紙のままで構わない。ちなみに全国健康保険協会にこの用紙は抜きで送ればいいのか確認したところ、「白紙のままで同封してくれ」とのことだった。どうせ白紙ではあるが、申請書確認の際に必要になるのかも知れない。実務は知らないが。私は大人しく従って白紙のまま四枚セットで申請している。

④療養担当者記入用。

 これは会社を休んでいる理由となっている傷病へ治療を行ってくれている医師にお願いする。この用紙もこれまでどおりかかっている病院や診療所に持参し書いて貰えばいい。

 

 以上、四枚の用紙を準備する。これまでは会社に送っていたが、退職後は管轄の全国健康保険協会支部に郵送すればいい。被保険者証の下のほうにどこの支部か書いてあるの思うので、ぐぐれば住所が出てくる。封筒に四枚セットのみ入れて支部宛に郵送すればいい。受給条件をきちんと満たしていれば、退職後であっても傷病手当金がこれまで通り振込まれるはずだ。額も変わらない。

 

 簡単に退職後の傷病手当金受給の条件と申請方法について述べた。これはあくまで私の経験でしかないので、自分の置かれている状況での扱いを知りたければ全国健康保険協会に問い合わせて欲しい。電話一本で親切に教えてくれる。

 次回は退職後の保険の切り替えなどについて書こうと思う。と言ってもほぼほぼ役所に駆け込めば対応してくれる。継続加入か国保に切り替えるかの判断が必要なくらいではないだろうか。

 

 ちなみに傷病手当金の受給期間は最長1年6ヶ月です。辞めてからじゃなく、休職中も含めて受給を始めてから1年6ヶ月。当然傷病が治癒して労働可能になったら受給資格はなくなりますが。案外あるよね。療養しながら過ごしてみるとあっと言う間ですけれど。会社に12ヶ月籍を置いてくれって頼むの、結構勇気が要るかも知れないんですけど、頑張ってください。貰えるもんは貰っときましょう。頑張って生きて来て、これからも生きていくんだからね。

新卒一年目、休職中の傷病手当。

 

 新卒で入った会社を8ヶ月で休職し12ヶ月で退職した。

 前回の記事では休職制度と退職までの経緯を述べた。今回は、休職中、また退職した現在でも利用している、傷病手当金制度について述べていく。あくまで個人の経験でしかないので個別のケースへの適用は難しいと思うが、自分のための状況の整理と、誰かの参考になればと思う。お守りのように、ざっくりした知識を頭の隅に入れておくのも勇気になるかもしれない。

 

 まず、傷病手当金制度について。これは健康保険法に定められているもので、会社員、公務員、船員など、健康保険に加入している人向けの制度である。ようは自営業者や農家が加入する国民健康保険ではなく、会社経由で渡される保険証を所有している人が利用できるものだ。

 正式な条文などは小難しいので割愛する。全国健康保険協会のページなどググれば簡単に出てくるので気になる方はそちらへ。

 ようは病気やケガで働けず、給料の発生していない日が連続3日以上ある人に対して、4日目から最長1年6ヶ月間、標準報酬日額の3分の2が支給される、「働けなくて給料出ない? これ少ないけど生活費の足しにしてね」という制度である。

 

 私の場合はまず一週間の休職となり、その後さらにひと月、そしてふた月、と休職期間が伸びていった。有給が10日残っていたので、まずはそれが当てられた。週休二日なのでそれを引いて、最初の2週間は有給が消化された形となる。その後3日間の待機期間を経て、4日目からが支給の対象となった。

 支給される金額については、人それぞれ、本来もらっていた給料の額によって異なる。大体月にもらう額面(手取りではない)の3分の2と思えばいいと思う。支給は日割りなので、2週間の支給期間だとさらに半分になると思っていい。私の場合は、住宅手当含め額面が20万少しで、傷病手当の支給額は月に13万くらいになった。

 ここで大事なのが「額面である」ということである。つまり保険料諸々が引かれる前の金額がそれである。健康保険などに加入している限り、この金は払わなければならない。私の場合は休職中、会社からの給与明細がマイナスで通知された。保険料諸々を払えということである。毎月会社に行き、保険料諸々を総務に現金にて払った。月々額面から引かれていた金額と同等と思っていい。いつもより少し少なかったような気もするが、まあそれくらい確保しておくと安心である。

 

 請求は、会社の総務を通じて行った。これも全国健康保険協会をググれば様式をPDFでダウンロードできるので欲しい人はそちらを。私の場合はご丁寧に毎月総務から用紙が送られてきた。申請書は4枚でワンセットとなる。

 

①被保険者記入用。

 自分が書く用紙その1である。被保険者証の情報と、傷病手当金を振り込んで欲しい口座の情報を記載する。

②被保険者記入用。

 自分が書く用紙その2である。傷病名やそのために仕事を休んだ期間、障害年金や老齢年金、労災などから給付を受けているか否かの確認の用紙だ。傷病名は後述する診断書に書かれているものをそのまま引っ張ってくればいい。仕事を休んだ期間は、私は分からなかったので未記入のまま会社に送りつけた。おそらく総務が補足してくれただろう。

③事業主記入用。

 会社に書いてもらう用紙である。勤務状況や、出勤していれば本来支払われていた給料の額などを記入するものとなっている。自分で書くところはないので、未記入のままほかの用紙と一緒に会社に送りつけたらいい。

④療養担当者記入用。

 これは会社を休んでいる理由となっている傷病へ治療を行ってくれている医師にお願いする。用紙を病院に持っていけばいい。私の行っている心療内科では、受付ではなく診察の際に直接医師に渡して、大体その日の医療費支払いのときに返してくれる。このあたりは病院によって違うと思うので聞いてみて欲しい。

 先述した被保険者記入用その2で記載しなければならない傷病名や発病時の状況などは、ここから適宜引用すれば書きやすいかと思う。

 ちなみに医師に書いてもらう書類というと高額なイメージがあるが、これは保険がきく。「傷病手当金意見書交付料」という医学管理のなかのひとつで、100点、つまり10割負担で1000円である。3割負担で300円、1割負担だと100円である。安い。

 

 会社に所属しているうちは、上記4枚をセットにして会社の担当部署に郵送なり持ち込みなりして届ければいい。会社のほうで事業主記入用を記入してくれて、全国健康保険協会への申請までしてくれるはずである。

 給付は、会社が全国健康保険協会へ申請してから大体2週間ほどで行われる。給付の知らせは、大体振り込まれたあとに全国健康保険協会から自宅にハガキが送られる。そこに支給期間、対象日数、金額など書いてある。

 労務不能で会社を休んだことについての証明という性質上、未来の日付を書くことはできない。事後申請となる。特に毎月申請しなければならない決まりはないものの、だいたいひと月に一度のペースで会社から催促が来た。退職した現在では、面倒なのでふた月に一度のペースで申請している。

 

 繰り返すがあくまで一個人の経験に過ぎない。正直、私のいた会社の総務はかなり丁寧なほうだったと思う。こちらが言うまでもなく申請書とその説明をくれた。会社によってはこちらから言わなければならないかもしれない。遠慮なく送りつけよう。全国健康保険協会の各支部に問い合わせたら丁寧な返答をいただけたので、そちらに聞いてみるのもいい。

 前回の記事で、12ヶ月きっかりで会社を辞めたことは傷病手当金受給において重要なことであると書いたかと思う。次回は退職後の傷病手当金制度について述べていく。

 

 この制度、国民健康保険加入者だと利用できないんですよね。余裕営業で会社員以上の収入が確保できるわけじゃない限り、雇われていたほうが制度諸々得が多いなーと感じます。個人的な意見ですが。あー正社員で雇われてえ。ていうか働きてえ。働けねえ。生存戦略。意地汚くでも生きていこうな。

 

新卒一年目、休職からの退職。

 お仕事はしんどい。合わない仕事はもっとしんどい。合わない上司がいるともっともっとしんどい。あーもう嫌だ、だめだつらい。休みたい。しんどくてしんどくてどうしようもなくて、立ち行かなくなったとき、仕事に支障が出始めたとき。

 

 休職制度というものがある。

 

 私は退職する前に休職制度を利用した。現実はつらい。いま、しんどくて休職を考えている人が居るかも知れない。私が述べられるのはあくまで一個人の経験だが、参考になれば良いと思う。自分のための現状の整理をしたいというのもある。自分の休職から退職までの経緯を共有する。

 

 合わない仕事に合わない上司のもと、日々を過ごすことで精一杯だったときに、血縁による裁判沙汰に巻き込まれ、ストレスがキャパオーバーした。仕事中に涙が止まらなくなったのである。気を張っているとどうにか我慢できるが、ふとしたきっかけで涙が溢れてしまう。これは困った。仕事に支障がでる。元々自律神経を壊していて心療内科にかかっていたので、仕事を終えてすぐに駆け込んだ。医師によると「ストレスによる抑うつ反応」とのことだった。ひとまず、ということで一週間の休職命令が出された。会社に持っていけ、とのことで、封をされた診断書原本と、そのコピーを一枚くれた。コピーは裸で渡されたので、内容を確認できた。ちなみに診断書代だけで1000円払った。保険適用なのか病院の設定なのかよく分からないので値段にはばらつきがあるかも知れない。

 翌日に持っていくこともできたが、とにかくしんどくて一度止まると動き出せなくなると感じたのでその足で会社に戻り、残業中の上長を呼んだ(ちなみにボロ泣きしながら会社に行ったのでデスクのあるフロアに入れず、受付のお姉さんに内線で上長を呼び出してもらった。お姉さんは「大丈夫、ほかの人に会いたくないんでしょう」と即座に察してくれた。気遣いがすごい)。電気の消えた会社の隅で上長と二人で話した。とにかく泣いてどうにも言葉が出ないので診断書の封筒を渡した。封筒には心療内科の医院名が書かれている。「これは僕が開けていいのかな」と迷っていたので、封のされていないコピーのほうも渡した。上長はそれを読んだ。きっかけは血縁の裁判沙汰だが、自分と上司の確執にも薄々気がついていたようで、「しんどいよねえ。そりゃしんどいか」と理解してくれた。「ひとまずお休みよ」と言ってくれた。その日は泣きながらの事情説明と簡単な仕事の引継ぎをして帰宅した。

 一週間経つ前、心療内科を受診すると、「もうひと月伸ばそうか」と言われ新しく診断書をコピーをまたもらった。今回は会社に行けず電話で事情を説明した。診断書はもって来られそうなときに持ってきてくれたら、とのことで可能な限り人の居ない時間に、裏口を通って受付のお姉さんと上長としか会わないようにしてもらい診断書を渡した。それからひと月が経つ前、「思い切って2ヶ月休みましょう」とまた診断書をもらった。今度は郵送で送りつけた。

 11月末から一週間、ひと月、2ヶ月、とここまでで3ヶ月以上の休職となった。就業規則には1年目の休職は3ヶ月が限度と書かれていたが、わりと融通が利くらしく休職は何事もなく許可された。3ヶ月が経つ頃、今後について聞かれた。ごたごたは続いていて体調も回復しなかったので、戻れそうにない、退職するつもりでいると正直に告げると退職時期の相談となった。とっくに休職期間の上限は突破しているのでその月で切られるかと思ったが、「いつにする?」と尋ねられた。お願いして、3月いっぱいは籍を置いてくれることとなった(後の記事に書く予定だがこれは傷病手当受給に大いに関連する)。

 そして年度末に退職した。入職8ヶ月目で休職し、そのまま復帰することなくぴったり12ヶ月での退職である。結果5ヶ月ほど休職している。十日残っていた有給は休職の始めに利用したが、それでも規定上の限度は突破している。就業規則は案外融通が利くらしい。

 ちなみに世知辛い話だが、同時期に同じように精神的に参ってしまい休職を余儀なくされた他部署の契約社員さんは、月単位の休職命令が医師より出された時点で退職の話を出された。休職者が出ると仕事が回せないが、人を増やしてしまうと復帰したときに席がないので早期に復帰するか退職するかの二択を提示されたとのこと。復帰ができなかったので退職となった。ちなみに私は正社員雇用だった。この対応の差が契約社員と正社員の差なのか、部署の方針の差なのかは分からない(しかし話をしたのは同じ役員だった)が、そういうこともある。

 

 なんにせよ生きづらい現代である。休職しつつも復帰できるのが一番良いんですけどね。傷病手当やら退職後の各種社会保険の乗り換え、継続or国保の選択や税金などは次回以降で共有していく予定。うへへ保険料と住民税で家計が死ぬぜ。正社員雇用で働けることの尊さよ。いま出来てないけど。

 

記事書こうとしたら下書きがあったので掲載する。

 うつ病になった。

 と言っても診断は不安障害と抑うつ反応。仕事や上司との関係構成で手一杯だった時に、縁を切ったはずの元父親と関わらざるを得ないかつ身辺に影響の出る問題が出て来てしまって、それでキャパオーバーしたらしかった。

 ところで、私は大学生時代にうつ病(未診断)をやらかしている。両親が離婚をして家族で住まいを移ったとき、元父に脅かされない安全な環境に置かれたことで我慢が決壊したのか、どうにも生存していることが悲しくて苦しくて、食事をはじめとするセルフケアができなくなった。頭は元父と暮らしていたときの暴力の記憶を無限再生するので、それを止めるために寝てばかりいた。当時バイトをどうしていたのか、大学の授業はどうしていたのか、いまひとつ記憶にないけれど、とにかく可能な限り床に就いた。自分の意識をシャットダウンした。

 そうして眠って眠って、起き上がれるときに少しだけ起きて、また眠って眠って。今思えばセルフ森田療法のようなことをしていた。ちなみに森田療法のことは後に知った。

 1年と少しかけて、まあ日常生活ができるようになった。2社しか受けなかった適当な就活を終えて、なんとか大学をストレートで卒業した。自分に社会人が出来るなんて毛頭思わなかったけれど、学生身分をなくしてしまった以上は働かねばならない。自分の出来ること以上の仕事に追われて、家庭の事情に襲われて、心療内科医に休職命令を出されたのは社会人になって8ヶ月目のときだった。

 大学生のときのうつ病とは違って、それほど寝込むことはなかった。うつによる過眠はあるけれど、一日起きられないほどではない。眠さと、疲れやすさと、集中力の低下、それから気分の落ち込みはあった。今回は興味のある内容なら読書もできた。処方された薬のおかげなのかもしれないが実感はあまりない。

 随分前に購入して積んだままにしていた、加藤諦三の『心の休ませ方』という本を読んだ。冒頭に「生きることに疲れた」という言葉が出てくる。私はこの言葉を読んでただ泣いた。そう、生きることに疲れたのだ。まだ半周も行っていないマラソンコースの上で、立ち止まってしまった。生きることに疲れたし、長生きしすぎた、とも思った。ちなみにまだ23歳である。

 23歳であるけれど、心の中はもう80を過ぎたおばあさんのように気力がない。それは今回のうつの前からである。上司に「もっと若々しさを出していいんだよ」と言われたこともあった。同じ職場の十個ほど歳上の女性を見て、「若いなあ」と思った。身体の若さではなく心の若さのことである。私は30や40で死にたいと思っているし、今後結婚や家庭を作るつもりもなく、これからの人生はすべて余生である。それならもうなにもしなくて、ここで死んでもいいじゃないかと思ったりする。

 けれど今回も、死ぬことができていない。

 大学時代もそうだった。自分の存在が許せなくて死ななければと思いつつ、とうとう自殺企図すらできなかった。頭の中には母の姿ばかりあった。一緒に暮らす母は、当時19歳の未成年だった私を、当然のように引き受けた。優しく強い人だった。「自分が死んだら、母親は悲しむだろうなあ」と思った。何日考えても考えても死ねないので、私はある決意をした。「あと十年は生きよう」。きょう死ねないのなら、きっと明日も死ねないのだろう。一年後も五年後も、十年後も死ねないだろう。なら、明日死ぬつもりで十年生きるくらいなら、とりあえずあと十年は生きるつもりで生きよう。自分で自分の寿命を延長した。19歳の私は、ひとまず29歳までは生きるつもりで生きていくことにした。そして現在。

 ああ死ねねえなあ。

 そんなことを思いつつ、診療内科に通っている。8ヶ月で休職した仕事は、医師の休職命令が解けないまま、入職からちょうど12ヶ月で退職した。傷病手当は貰っているものの無職である。優しい母は嫌味のひとつも言わず嫌な表情ひとつ見せず、家というものを維持し提供してくれている。優しい目で、好きにしなさい、ゆっくりでいいから、と言う。

 死ねねえなあ。

 どうにも死ねないらしい。なんか生きてくしかないらしい。

生き方のはなしかも知れない

 たぶん、世代の所為もあるんだろうけれど。

 就職活動をするにあたって、よく学校の先生に相談をする。この進路で行きたいんですけれどこれからどうすればいいですかとか、志望動機どうやって書けばいいですかねとか、わたしやっていけますかね不安なんですけどとか、相談というよりは弱音を吐きに行くこともある。学校の先生はいままで何十年と他人の進路について考えてその経過を見てきた人であり、また自身も就職して労働して転職して収入を得てきた経緯があって、その過程で得た知識や経験則なんかを話してくれる。多分もう50代くらいの先生だ。だから考えが古いといえばそうなのかもしれない。就職以外の話でも、言葉の端々にそういう考えが垣間見える。

 オンナノコは転職しても良いのよ、と先生はいう。人それぞれだと思うけどね、だけど私はここに来るまでたくさん転職をして来たしその経験はとても良かったと思ってる。オンナノコはね、出産のときに辞めるかも知れないし、子育ての間は子どもの傍に居たいと思うかも知れないし、旦那さんが転勤するかも知れないし、だから同じ職をずっとするっていうのは難しいかもね。ううんそうじゃなくても、嫌だと思ったら辞めていいのよ。嫌だなと思いながら自分に合わないところで働く意味なんてないからね。それはオトコノコだってそうよ。ああでも、オトコノコは家族のために働かなきゃならないから、あんまり転職転職ってされても困るかもね。そのあたりは男女で違うところだよね。

 私はそれを、いつも話半分に聞く。先生はこういう考えなのかと、思想のひとつとして聞く。窮屈だなあと密かに思いながら。私のまわりにはいろんな人がいて、いろんな働き方があって、それぞれが自由にしていて、そこには男も女も関係ない。ただその人がやりたいように、嫌だと思ったら辞めて、無理だと思ったら辞めて、続けたいと思ったら続けて、ここで働きたいと思えたら働く、そんな人たちの姿がある。きっとそこには私の知らない葛藤や苦しみや喜びや楽しみがあるんだろうけれど、私に見えているものも見えていないものもあるんだろうけれど、とにかくそうやって生活をしている人がいる。

 私はそんな大人たちの生き方を見ているととても安心する。何歳になっても人生を楽しんでいいし、何歳になっても遊びを忘れなくていいし、好きな働き方をすればいいんだと私に教えてくれる。一度入った会社に40年間勤め続ける「必要」はないんだと分からせてくれる。

 男だからこう働く、女だからこう働く、一度入った会社はずっと勤め続けるべき。そういう考えは持ちたくないなあと、私はいつだって私のために私の意思で働いていたいなあと、そう思う。